5月2日は山下清です。1922年(大正11年) 〜 1971年(昭和46年)

1922年  大正11年 東京・浅草区中町に生まれる 。
         3歳の時に重病を患い軽い言語障害、知的障害になる。
  1928年  昭和3年、浅草の「石浜小学校」に入学する。
  1934年  昭和9年、 千葉県の養護施設「八幡学園」に入園。
          独自の技法による貼絵をはじめた。   1939年  昭和14年、 銀座「青樹社」での作品展で梅原龍三郎・
         安井曽太郎らの賞賛を受ける。
  1940年  昭和15年11月18日突然、 放浪の旅を始める。
  1954年  昭和29年 鹿児島にて放浪生活を終える。
  1959年  昭和34年 ヨーロッパ9ヵ国を訪問する。
  1960年  昭和35年 全国名勝絵葉書コンクールに「新東京十景」
         が選ばれる。 貼り絵の他・油絵・水彩画・陶磁器の絵付
         などの制作も手がける。
  1971年  昭和46年 49歳にて東京で歿 。

皆さんは山下清が放浪先で絵を描いているイメージがあると思いますが、実際の放浪先で山下清は、ほとんど絵を描いていません。旅先で見た風物を自分の脳裏に鮮明に焼きつけ、実家や八幡学園に帰ってから自分の記憶によるイメージを描いていました。山下清は映像記憶力が抜群で、見た風景を長い間覚えていられました。これは、山下清がサヴァン症候群だったのではないかとも言われています。
梅原龍三郎が山下清を高く評価しておりました。「作品だけからいうとその美の表現の烈しさ、純粋さはゴッホやアンリ・ルソーの水準に達していると思う」といったことから、「日本のゴッホ」とも呼ばれています。
貼り絵が有名な山下清ですがペン画も多く制作しております。
風景の中で、特に花火が好きだった山下は、全国の花火大会には足繁く通ったそうで
花火の作品は特に人気の構図です。
今回はペンで色紙に描いた山下清の花火の作品を紹介いたします。
判で押したように同じモチーフが描けたのが山下清です。一人ひとりの人物が整列して描いたり船が一列に綺麗に並んでいたり
花火もコンパスで円を引いた上から描いたように見えますがすべてハンドフリーで描いております。
そこに山下清の素晴らしい才能が覗えます。

花火  色紙

後藤画廊 (ごとうかみてん)