「わだばゴッホになる!」と21歳で青森より上京し、油絵から版画に至る人生を送り、「板の生命を彫り起こす」という想いから、自らの版画を板画と称し、独自の世界を築き上げ、日本ばかりでなく世界に認められました。

彼の倭絵(肉筆画)をリトグラフトグラフにした作品です。