日比野 拓史
略 歴
1981 岐阜県に生まれる
2008 多摩美術大学博士前期課程美術研究科日本画領域終了
〈個展、グループ展修了制作展〉
2006 「多摩美術大学日本画卒業制作展」東京銀座画廊
グループ展「無色透明展」幸伸ギャラリー
グループ展「アクアリウム」 アートフロンティア
グループ展「e-mit」 スルガ台画廊
2006 グループ展「アクアリウム」アートフロンティア
グループ展「e-mit」
2008 「多摩美術大学大学院修了制作展」東京銀座画廊
2008 個展 日比野拓史展「The moon is rising in the east」KEYギャラリー
グループ展「±point」ガレリア セルテ
個展「日比野拓史展」ANOTHER FUNCTION
所属 「無所属」
ワニをモチーフに描き続けていることについて
人の心を海のような世界に浮かぶ水で満たされた“器”として捉えると人の心が動く時、“器”や中の水が揺らいだ時なのだと思います。“器”の中に何か飛び込み“器”や中の水が揺らぎ波紋や波が生まれ、底に沈んでいた澱の様な経験、記憶の粒が水面(意識)まで舞い上がります。そして、入ってきたもの、澱同士がぶつかり合うことで感動、発想が生まれたりする。その現象を生み出す飛び込み揺らす何かを表現したいと思っています。その現象を起こす何かの象徴が私にとって“ワニ”なのです。
青空を思い浮かべるといつも小学生の時みた登校中の朝の空を思い出す。他の人は夏の入道雲のある青空かもしれない、北国の人は冬の雪の平原に切り取られた青空を思い浮かべる人もいるだろう。青空という単語で人それぞれ違う風景を思い描く。感動も同じ青空でも人それぞれ受け取り方が違う。私はワニを通して私が感動した青空ではなく、見た人が感動した青空を記憶の底から呼び起こすような作品を作っていきたいと思っております。
作品解説
Make a hole
仏像の後光の丸い光を見ると光の奥に何処かへつながっているような気がする。
仏像ではないけれどワニの頭の後ろに光の代わりに穴を背負わせた。そこの奥はどこにつながっているのか?その人の生き方によってたどり着く場所は違うのだろう。
Rectangular
“rectangular”は何を与え何を奪うのか?それとも何か世界の機能の一端を担っているのか?眺めるだけで届かないそれはいつか朽ちてしまうだろう。それまでに自分は何ができるだろう?
rectangular は21世紀宇宙の旅で登場するモノリスをモチーフにしています。基本は黒、もしくは透明という設定ですが銀にすることで有限性を表現、与えることができればと考えました。テーマに対して煮詰めきれていないので再度挑戦したいと思っております。
The next World
ワニが空間を超えて頭を出している。そこはどこへつながっているのか?これからの新しい世界に繋がっているはずだ。
丑三つ時の月
丑三つ時の月はとても静かで美しくそして畏れのようなものを感じる。
暁
暁の空は一瞬の赤い光から垣間見るこれから始まるという強い決意のような予感を感じさせます。
深く重い青の底
青空は晴れやかな表現が多いけれどあまりにも深い青空を見るとその奥に宇宙を感じてしまい途方も無い感じで、普段感じない重力がその青とともに自分にのしかかっている気持ちになります。
深淵を臨む
深く重い青の底の同じテーマ。
深い青空を見ると見上げているのにまるで
限りなく透明な水の深淵を覗いている気がします。
去っていく
幸運やいいアイデアの閃きはほんの一瞬のうちに意識、視界の端を通り過ぎる。うまく掴まなければといつも思う。掴み損ねたものはどうしても意識の片隅に残り続けるから。
虚空の対話
[名]
1:何も無い空間。
2:仏語。何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所としての空間。
[名、形動ナリ]
3:事実にもとづかないこと。また、そのさま。架空。
4:取り止めがないこと。またそのさま。漠然。
5:思慮分別がないさま。むやみ。やたら。
見る側はどの意味の対話として感じるだろう?私は「1」「2」「4」何も無い空間での対話は真理のような空間だけれど形がない故にどうしても漠然としてしまう。ただ、そこには静かな語らいがあり少し寂しい平安があるかもしれない。
光が降る
ごく稀に世界から祝福されている瞬間を感じることがある。一瞬ではあるけれど自分の周りに光が溢れ見上げれば雪のようなキラキラと光る光も降っている。
そんな感覚を表現できたらと思いました。
光の杜
言葉の通り光の杜(森)の中にいるような。深い暗い森を抜け明るい木漏れ日の中に入った瞬間のような感覚を表現できればと思いました。
黒い惑星
黄色いソラの世界(異世界)そこに浮かぶ一つだけの惑星。それは希望としての星になり得るだろうかもしくは北極星のように指針になるだろうか?ワニは空を仰ぎ見て何を思うだろうか?
春と空と月
遠い春の夕暮れ時の明るい空にまだ雪のかかる峰の上に小さな月が浮かんでいる。
曙の雨と二つの月
曙の刻にしとしとと日照雨が降っている。二つの月が静かに佇み何かを告げている。
深海
テレビの特集で深海の生物を見た。
彼ら深海の生物は光が届かないので大体皆白いらしい。目も退化したり違う機能のようなものがついているらしい。もしも私が深海に降りて彼らに出会ったらこんな感じなのではないだろうか?見えない目が光って見えるかもしれない。
静かでやさしい世界
静かな世界に暖かい光が降り注ぐ。ワニは静かな世界で一人浮かんでいる。
地平線の果て
真理は水平線、地平線に似ている。真理を求め進めども横たわる水平線や地平線。その先に大きな積乱雲のようなワニが横たわる。テーマのワニを追求することへの感覚を表現しました。
白昼夢
たまに白昼夢を見る。稀に内容を覚えているが大体が捉えようのない感覚だけを残す。前に見た白昼夢はこんな感じだった。
緋色の宙にうかぶ青い惑星
たまに自分が違う世界にいるような気がする。そこから見える地球という惑星はとても綺麗な青色で少し冷たく見えます。
薄月夜
最近は朝方になりましたが昔は宵っ張りでよく深夜に家を出て散歩しました。
特に好きだったのは明るい月と雲がある夜。雲間の明るい月と照らされた雲、また薄い雲に入った月は雲を淡い特有の暗いんだけれど明るい青色に光らせる。そんな夜を表現しました。
三日月の舟
山から上がりたてもしくは沈む前の三日月はまるで昔作った笹の葉で作った舟のように儚げに見える。
深い海を旅する
小笠原諸島の沖を泳いだことがある。本当に綺麗な海でそして海の底が見えない。船上からは青色だけれど海の中から下を見ると光の加減なのかなんとも言えない緑色で、その中波の影響か光が帯のように揺らいでいる。その遥か下にマンタが旅をするように泳いでいた。
真夏の白昼夢
暑い夏の空にたくさんの積乱雲を見た。あまりの暑さとくっきりと分かれた白と青のコントラストに一瞬重なり合ったワニを見た。
星を背に立つ
大きな星を背にワニが立つように浮かんでいる。水面の上からどんな世界を見ているのか?水面で体と頭は違う場所に行っているのだろうか。生物にとって水際は生と死の境目そこに中立に立つワニ。まるで後光を背負っているような尊厳のような畏怖のようなものを感じる。
中立の立場は時に中途半端な立ち位置でもあるがゆえにとても不安定になる。ただ本人以外はそのようには見えづらいらしい。後光のように星を背に浮かぶワニの手が不安げなのが物語っている。