伊東深水作品展 2/6(月)~2/18(土) 開催中
昨年没後50年を迎えた深水は現在もその人気は不動です。
歌川派浮世絵の正統の浮世絵師であり日本画家でもあり、美人画を日本画独特の柔らかな表現で描きました。人気の「美人画」以外の画題を描きたくとも、それ以外の注文が来ず、画家として困惑する時期もありました。人気のあまり、戦後には多くの作品が複製版画として制作されました。今回は深水自身が、出来の良い作品に与えた称号の此君汀”(しくんてい)落款の美人画をはじめ版画を展覧いたします。
伸び伸びした線で描かれた雛は生き生きとしています。珍品です。
ひよ子
伊東深水
明治31年(1898年) – 昭和47年(1972年)
1898年‐東京深川に生まれる
1907年‐小学校3年で中退、以後は看板屋に奉公し住み込みで働く
1908年‐職工となり東京印刷の活字工になる。日本画家の中山秋湖に日本画を習う
1911年‐縁あって鏑木清方へ入門。「深水」の号を与えられ、夜間学校で苦学しながらも精進する、14歳
1912年‐第12回巽画会展に『のどか』が初入選
1913年‐巽画会1等褒状
1914年‐再興第1回院展に『桟敷の女』が入選、東京印刷を退社する
1915年‐第9回文展に『十六の女』が初入選
1916年‐渡辺版画店から第1作『対鏡』を発表、新版画運動に参加、東京日日新聞などに挿絵を描く
1919年‐好子と結婚し長男と二男をもうける
1922年‐平和記念東京博覧会で『指』が2等銀牌
1927年‐大井町に深水画塾設立
1932年‐人物画の再興を目指し「青々会」設立
1935年‐料亭「勝田」の女将であった勝田麻起子との間に雪会(後の朝丘雪路)をもうける
1943年‐召集され海軍報道班員として南方諸島へ派遣、外地で4000枚ものスケッチをする
1945年‐長野県小諸市に疎開
1948年‐『鏡』で第4回日本芸術院賞受賞
1949年‐鎌倉に転居
1950年‐白鳥映雪、児玉希望、奥田元宋、佐藤太清等と日月社を結成、後進の育成にあたる
1958年‐日本芸術院会員に推挙
1972年‐没 享年74
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