玉舎春輝 (たまやしゅんき)1880年(明治13)-1947年(昭和22)

高山市生まれ。本名は清水秀次、別号に臥牛庵など。一才の頃に、岐阜県吉城郡古川村の玉舎家の養子となり、以降、玉舎姓を名乗る。明治32年19歳で京都に出て、原在泉に大和絵を学び、山元春挙には写実的技法を学ぶ。明治42年29歳で第3回文展に『蹈険集利』で初入選。大正8年53歳で「日本自由画壇」結成に同人として参加。昭18年63歳で早苗会を解散とともに「耕人社」結成に理事として参加。

松島は先生の山元春挙の作品に勝るとも劣らない作品。穏やか海を帆船が滑るように進み海鳥がその船を追うように舞っている、島々には青々とした松が描かれ、手前の岩窟は春挙の代表作品を思わせる秀作。

松島 32×36 絹本 

後藤画廊(ごとうかみてん)