矢橋 六郎(1905年 – 1988年)は、洋画家・実業家。「先祖は嵯峨天皇の第12皇子で光源氏の実在モデルの有力候補とされる源融(みなもとのとおる)にまで遡る」矢橋家本家の出身。矢橋大理石商店代表取締役副社長。モザイク による壁画、作品を制作。代表作にJR・名古屋駅新幹線口の「日月と東海の四季」。岐阜県・教育委員長をつとめ郷里の振興に寄与
県立岐阜中学校を経て、1924年、川端画学校に通いはじめる。1926年、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学し、1930年に同校を卒業。同年渡欧。ヨーロッパ滞在中フォービズムやキュビズムなどの影響を受ける。梅原龍三郎に師事し、梅原らの創立になる国画会に参加。滞欧中も同展に出品を続け1932年に同会会友となる。1933年、帰国。同年国画会を退会する。1936年、山口薫、村井正誠らと自由美術家協会を創立。1939年生家の家業である矢橋大理石商店に勤務することとなるが画業もつづける。1941年には旧満州、新京に渡り、矢橋大理石廠株式会社勤務。 1945年には兵役に服すが、1946年に帰国。帰国後は矢橋大理石商店取締役に就任する。1950年村井らと共にモダンアート協会を創立する。モザイク作家としても知られ、「海」(1962年、大名古屋ビルヂング)、「彩雲流れ」(1965年、新東京ビルヂング)、「日月と東海の四季」(名古屋駅新幹線口)、「松と海」(新大阪駅貴賓室)「春・夏・秋・冬」(岐阜県庁)「熊野」(丹鶴ホールの熊野ロビー・熊野ギャラリー、デザインは村井正誠。)等を制作している。
1966年中日文化賞を受賞、1969年岐阜県教育委員長に就任、1973年大垣市文化功労賞を受賞、1975年岐阜県知事賞を受賞、矢橋大理石商店代表取締役副社長に就任、1978年東海テレビ賞を受賞、1980年ギャラリー芦屋にて個展、ジャパンエースより初めての手彩色版画を出版、岐阜日日特別功労賞を受賞、1984年ギャラリー芦屋にて個展、文部大臣表彰。
晩年にはステンドグラスも制作。美術教育にも尽くし、武蔵野美術大学、東京芸術大学で教鞭を取ったほか、1969年には岐阜県・教育委員長をつとめ郷里の振興に寄与した。
1966年、中日文化賞を受賞。
1978年、東京セントラル美術館で「矢橋六郎画業50年展」が開催された
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