若い頃は画壇になかなか認められずそれでも先輩の助言もあり自身のスタンスを貫き通し生涯、作品に対するストイックな考え方、真摯な向かい方は後輩の画家たちにも多大な影響を与えました。
特に富士山には毎週のように足を運んで描き、そのデッサンの数は多数あると言われています。
赤富士の手前には松竹梅が描かれ空にはところ狭しと龍が描かれた珍しい構図の片岡球子先生の没後に肉筆画をもとに遺族監修のもとに製作されたリトグラフ。
めでたき富士 2010年制作 リトグラフ 365×685㎜
片岡球子 1905年(明治38年)~2008年(平成20年)札幌市に生まれ
1923年 北海道庁立札幌高等女学校師範科卒。日本画家を志す。
1926年 女子美術専門学校日本画科高等科卒業。横浜市立大岡尋常小学校教論となる。
1955年 大岡小学校を退職。女子美術大学講師就任。
1966年 愛知県立芸術大学が開校、日本画科主任教授、
1973年 (昭和48年)より客員教授。
1989年 文化勲章受章。
1992年 「画業70年片岡球子展」日本橋三越とパリで開催。
後藤画廊(ごとうかみてん)おうちギャラリー