大橋翠石は「虎の翠石」と言われているが他の動物も虎に劣らず素晴らしい作品を描いている。本作は翠石が40代の頃に鹿を描いた作品で鹿の毛一本一本丁寧に書き上げ背から腹に描かれている斑点模様も素晴らしい写実表現である。何かを見つめる一瞬の鹿の表情が今にも跳ねて動きだしそうな作品である。
大橋 翠石 1865年(慶応元年)- 1945年(昭和20年)
岐阜県大垣市安八郡大垣北新町に代々染物屋を営む大橋亀三郎の次男として生まれる。
明治19年東京に出て渡辺小華に師事した。小華の没後、故郷に帰り、独学で動物画を描き特に虎、獅子を得意とした。独自の画風を確立。生前には横山大観といった画壇の巨匠と同等の評価を受ける明治28年第4回内国勧業博覧会で褒状、明治33年(1900年)のパリ万博では日本人としては唯一の金メダルを獲得する。明治36年第5回内国勧業博覧会で2等賞を受賞した。大正7年神戸絵画協会を橋本関雪らと興し、絵画の普及と研究に尽力した。日本で初めて写実的な虎を描いたと言われている。その描く虎画は金泥で一本一本毛をえがき本物の虎がまるで生きているかのように躍動感がある作品にしあげている。
明治の金メダリスト 大橋翠石〜虎を極めた孤高の画家〜」が、
2020年7月18日(土)から8月30日(日)まで岐阜県美術館
(岐阜県岐阜市宇佐4‐1‐22)にて開催予定。
双鹿之図 125.9×50.6
後藤画廊 (ごとうかみてん)